小学校の教師を勤め上げた父親が定年退職する話
自分の父親は今年度で 60 歳を迎え、今月末定年退職を迎えることとなりました。
そこまで父親の昔を知っているわけではないのですが、少なくとも大学を卒業してから、ずーっと広島の小学校の教師を勤めていました。
途中、単身赴任になったり、教頭になり、校長になり、他にも色んなことがあったんだと思います。
父親の教師としての姿はほぼ全く見た記憶がないので、父親がどんな教師であったのか、細かいところは正直わかりません。
ただ少なくとも、ユーモラスがあり、仕事に対して真面目で、生徒と教師のことを何よりも一番に考えていたことは、普段の会話からでもわかりました。
また自分とは全く異なり、人望にも熱く、多数の友人に恵まれている姿は、多分一生かなわないんだろうなーと。
一方、今より 12 年前以前、つまり自分が実家にいるときのプライベートでの父親は、まーそれはそれは怖かったです。
というか、ほとんど会話しなかったんですよね、怖すぎて。
なんかもう、常に怒られていたような気がします。
確かに、自分が悪いことをしたことも多かった、のかな?
とはいえ、年頃の息子に対して取る態度にしては、少々厳しすぎる父親であったとも思います。
何がそんなに怖かったのかと聞かれると、ほぼなんにも覚えてないんですけどね。
大学から実家を出ようと思った理由の一つに、自分にとって実家があまりに息苦しかったというのは、間違いなくありますし。
そういう意味で、良い教師ではあったかもしれないですが、自分にとって良い父親であるかと聞かれると、素直に頷けないところもあったりします。
話変わって、なぜ突然父親の話を書き始めたかといいますと。
そもそも、全く書くつもりもなかったんですが。
コロナの影響で、父親の送別会が開かれず、卒業式も行われず、なんとも寂しい追い出しとなっているみたいです。
で、今週末の土日に身内で定年退職祝いの会を母親が開こうとしていたのですが、これもコロナでお流れに。
なんというか、新卒で教員になってずーっと真面目に働いてきたのに、終わりがこれって。
その姿を見て、あまりに不憫すぎたので、せめてもブログには書き残しておこうかなと思った次第です。
小学生、中学生くらいまでは、実は教師になろうかなーと漠然と考えていた時期がありました。
そう考えていた理由は、昔から人に何かを教えることがすげー好きなんですよね。
だから、漠然と教師になろうと思っていました。
なんでそんなに人に何かを教えることが好きになったのかなと考えると、多分間違いなく両親の影響が強いと思います。
母親は書道家で、書道教室の先生をやっていて。
父親は小学校の教師、言わずもがな、こちらも生徒に対して教える立場なわけです。
そんな教師家庭で育てば、必然的に教えたがりな性格にもなりますよね。
ただ一方、高校生くらいから、教師を目指すのはやめました。
これまた理由としては、父親の影響が強いです。
教師を目指さなくなった理由は 2 つあって。
1 つは、父親の多忙っぷりを間近にして、本当に自分はこの職業に就きたいのか、疑問が湧いたこと。
そしてもう 1 つは、モンスターペアレンツなどの問題が取りだたされる中で、生徒に対し責任を持って接することができる自信がなくなったため、です。
特に 1 つ目の父親の多忙っぷりについては、それはもう尋常ではなかったです。
平日の夜遅くに家に帰ってきて、ずーっとテストの採点をやって、授業のカリキュラムを組んで、どんだけ仕事するねんと。
もう狂気の沙汰ですよまじで、頭おかしい。
自分は家に帰ってまで仕事はしたくないし、生徒に何かあったときの責任を取りたくない。
ふとそう思ったときに、あ、自分に教師は向いていないな、と。
教師という職業は、恐らく勤めた人にしかわからない、すげーきつい職業だと思っています。
生徒という日本の宝を預かって教育していくという、それはもうプレッシャーがすごかったんだろうなーと。
色々仕事でうまくいかないことも多かったんだと思います、だから家ではよく怒っていたのかなーと、今となってはちょっとわかるような気がします。
そんな立派な教師人生を、ひとまず終えた父親。
お疲れさまでした。